種取り [こころ(思う事・感じた事)]
畑をやっていた母は、秋になるといつも種取りをしていた。
私はそれを見ながら、「種ばっかり取ってないで、旬の美味しい時に収穫してくれよ」
と呆れ顔でいつも思っていた。
それなのに、畑をやり始めて4年経った今、自分も同じように種取りをしている。
種を見ると取らずにはいられなくなる。
でも、時間がないので、鞘のままや花が枯れたまま、放っておいていた。
やっと時間が出来たので、乾かして置いたインゲンや花の種取りを今、一生懸命してる。
鞘から豆を出しながら、いろんな事を思う。。。
人間でいえば、インゲンでも、生まれたばかりの赤ちゃん(芽出し)から、
子供時代の成長期、青春、熟年、そして年をとり枯れる。
そんな過程を経て、とれる完熟した種豆は丸く、プンと元気な豆である。
次への立派な子孫を残すための完熟した種豆を人間に照らし合わせると、
喜んだり、悲しんだり、苦労も含めた人生経験を経て、器の大きい人間になり、
枯れるように人生を終える。
そして、祖父母→父母→子→孫へと次の代へと繋がって行く。
最後まで一生懸命生きた人は、豆でいうと、
きっと艶のある丸く、プンと素敵な形の豆になるんだろうなぁ~と・・・
鞘から豆を外しながら、青い鞘からは青っぽい豆、虫食いの茶ばんだ豆、
小さいままの豆、虫も入らず、茶色に枯れた鞘からは艶のある大きい豆・・・
いろんな豆があるんだなと思うと豆の営みの違い、豆の人生の違いを感じた。
花も・・・
生きているものはすべて同じなのだと・・・
。 。 。
「輪廻」を感じた時、
来年・・・再来年へと畑に思いがはせる。
「私も出来れば、艶のある大きい豆になりたい」・・・